今まで何度か取り上げていますが、またまたアオサギです。
この冬はけっこう気にしながら見ていたのですが、この地区では確実に増えてきているようです。減農薬や雪みず田んぼによるものだとしたら、ちょっと嬉しいんですけどね。今日も交流田んぼでこのような光景が見られました。(めぐ)
月別アーカイブ: 2009年3月
Mt.chokaisanその2
でした。
ちなみに撮影場所は尾花沢です。
先日アカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画『おくりびと』。
ロケ地は主に山形県の庄内地方で、劇中にも鳥海山が何度か出てくるようですね(ま
だ見てないので残念ながら詳しくはわからず)。
見えるんですね、内陸の最上地方からも。
知りませんでした。
庄内の山とばかり思っておりましたので。
まあ生まれてこのかた生粋の置賜人ですからそこらへんはかんべんしてください。
(拓)
カエルの卵
山道を歩いていたら、水がなくなった水路にカエルの卵が!!水がなくなったのはごく最近らしく、見た限りではまだドロッとしてて大丈夫そうな感じ。水のある所に移すか、持ち帰って観察するかで迷ったのですが、せっかくなので観察してみることにしました。
この時期に産卵するのはニホンアガガエルかヤマアカガエルだと思いますが、じっくり観察してみたいと思います。どのくらいで孵化するんでしょうね?
ちなみに、孵化したらちゃんと元の場所に返してあげますからね。(めぐ)
Mt.chokaisanその1
めぐサンも先日最上町に行ったと書いていましたが、私も同じ用事で最上町まで行っておりました.で、その行き道での風景中心部、赤い矢印の下に薄っすらと山が見えるかと思います.実はこの山・・・・・・、答えはまた後ほど!!(拓)
最上探訪 3
大堀駅編のラスト。踏切付近から新庄方向をパチリ。なかなかいい感じじゃないっすかね!?
「♪♪♪せ〜んろはつづく〜よ〜、ど〜こまでも〜♪♪♪」。
最上探訪 2
大堀駅の時刻表です。
昨年このブログに瀬見温泉駅の時刻表を掲載していたたので見比べてみたのですが、なんとビックリ!上下線とも一本減ってしまっている!!
うーん(-_-)他人事ながら、なんだかとても残念な気がしますね・・・。
今朝の雪みず田んぼ
昨晩から今朝にかけてけっこう雪が降りました。水を湛えている田んぼには積もりませんが、周りはこんな感じです。
雨水(雪)頼みの湛水なのでいつまで水が保つか心配しましたが、この感じなら「田んぼの生きもの調査東日本講習会」までは大丈夫そうです。プログラムに「冬期湛水田」と書かれてましたからね。ウソにならなくてよかったぁ、マジで(^_^;)
(隊長)
最上探訪 1
昨年に引き続き、今年もこの時期は仕事で最上町まで行っています。ということで今年も最上探訪記(?)をお届けします。
最初はこのログハウス風の建物。陸羽東線(愛称奥の細道湯けむりライン)の大堀駅です。いまは無人駅なんですが、なにげに立派な建物ですね。駅舎にはふたつの入り口があり、片方には「としょしつ」との札があります。入ってみると丸太で造ったしっかりとしたテーブルがあり、本を読むにはいい環境なようです。ただ、今現在蔵書は無いようでしたが・・・。
この日はけっこう寒かったのですが、ログハウスの中は全然寒くなかったし、なにより風情があって良いですよね。(めぐ)
タヌキw=(゜o゜)=w
すご〜〜〜く判りづらいですが、狸です。剪定作業中に果樹園の土手で見つけました。近寄ると離れていくので、こんな写真しか撮れませんでした。
哲and智のテツ
直江状
先日所用で米沢の『伝国の杜』という所に行きました。そこでは、来年1月まで『天地人博』が行われています。時間がなくて展示コーナーは観られなかったのですが、書籍を販売している所を覗いてみたら、口語訳された『直江状』があったので買ってしまいました。
直江状は、徳川方から上杉家への詰問状に対して直江兼続が返答した書状で、これによって家康は上杉討伐を決意したと言われています。そして関ヶ原の合戦がおこることになります。これには諸説あり、上杉討伐の間に石田三成が畿内を平定し、東上して徳川軍を挟み撃ちにする密約が兼続と三成の間にあったとか、家康はそれらを全て読みきっていて、三成に挙兵させ敵対勢力を一気に倒す策略だったのはないか等々、想像力を掻き立てられますね。
直江状の内容は、上杉方からみれば「それはそうだよな」ということが書かれているのですが、その中に痛烈な皮肉がちりばめられていました。一例をあげると、「会津で武具を集めているのではないか」ということに対し、「上方武士が茶碗を集めるように、田舎武士は武具を集めることが趣味で、それぞれの習慣の違いであり、そんなことを気にするのは天下を治める方に不似合いです」といった具合です。詰問状に対する申し開きというより、挑戦状という感じですね。
さて、色々書いてきましたが、現存する直江状は全て写しであり、内容もそれぞれ少し違うということです。ただ、家康は「あれを読んだ時ははらわたが煮えくり返った」と後に語っているそうですから、当時の実質的な最高権力者を激怒させるほどの文章を叩きつけたというのは間違いないようです。凄い胆力ですね。これも上杉家の家風なのでしょうか。(一)